旅の記録

歩き遍路経験者が語る、なぜ四国八十八ヶ所のお遍路は白い服(白衣)着なくてはいけないのか?

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僕が遍路に行ったというと、ちょくちょく
「お遍路さんの白い服は何のために着てるの?」
「あの服は着なくても良いの?」
という質問を投げられます。

この記事では、遍路の白い服を着用する意味と僕の解釈について記述します。

 

遍路の白い服は死装束

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そもそも、お遍路は何のために白い服(白衣:びゃくえ、はくえ)を着て居るのかと言うと、あれの本来の意味は死装束です。

 

今日でこそその心理的抵抗は希薄になっているが、どこで倒れてもお大師の下へ行けるようにと死に装束であり、その捉え方も明るいイメージではなかった。

wikipedia

 

亡くなった人を棺桶に入れる時に、白い和服を着せますよね。

それと同じです。

 

お遍路の文化が始まったと言われる1000年以上前のお遍路は、それこそ命懸けの巡業でした。

舗装されていない山道を歩き、いつ町に出るか分からない旅。
しかも四国は島流しや修験者の修行にも使われるような過酷な土地。
野生の獣や野盗に襲われるかもしれない環境です。

 

そういった道をひた歩く遍路旅は、過酷を極めたものだったということは容易に想像できますよね。

ちなみに遍路のもつ杖も、上の方が卒塔婆になっており、いつどこで死んでも、埋葬して突き立てられるようになっています。

つまり、遍路の白い服は、死ぬかもしれない危険な旅に対する「覚悟」と死んだ後の処理をする人への「気遣い」の現れなんですね。

 

そういった危険があるのを承知の上で、当時のお遍路さんは四国を歩いたわけですから、危険以上の「願い」と「覚悟」があったのでしょう。

 

 

現代における白装束の意味

 

さて、現代の遍路旅はというと、もちろん死に直面するような危険な旅ではありません。

道もある程度整えられていますし、町だって1日以内に行ける距離にあります。

お金さえ持っていれば、飢え死にすることもまずないでしょう。

 

足を悪くして手術をする人や、腰を悪くする人などはよくいますが、それでも命を落とすことは交通事故や、高齢者の熱中症くらいでしょう。
もちろん楽な道程ではないですが、命をかけるほど危険な旅かというとそうではありません。
海外のスラム街で野宿する方がよっぽど危険でしょう。

 

それでは、現代の遍路はなぜ白装束を着るのか。

これはそれぞれの解釈次第だと思いますが、僕は「記号」と「覚悟」のためだと考えています。

 

遍路としての記号

白い装束を身に付けた格好は、周りの人に自分がお遍路である事を知ってもらう為の記号(シンボル)です。

 

あの格好をして居る人は遍路だとわかる事で、地域の住民は、施し(お接待)をしたり、困って居そうなら助けたりすることができます。
白い服を着ていない遍路は、ただの旅行者か遍路なのか分からないんですよね

なので、声がかけづらかったり、時には不審者と勘違いすることがあるかも知れません。

まあ、四国で大きな荷物を持って歩いているだけで、だいたいの人はお遍路だと分かるのですが…
中には、「遍路」=「白い服を着た人」という方程式に当てはまらない人間は「遍路じゃない」と考えている人がいる事は事実です。

 

なので、自分が遍路であるという身分を明らかにするために、現代でも白装束はほとんどのお遍路が着ています。

 

覚悟としての白装束

良くも悪くも遍路の白装束は目立ちます。

他人から見ても、一目でその人が四国88ヶ所を回っていることがわかり、またその人が88ヶ所を巡礼する人間なんだという定義が固定化されます。

 

他人に自分が四国を一周する人間なんだと定義されることによって、自分自信の意識も変わります。

「何が何でも88ヶ所を回りきってやろう。」
「辛いことがあっても、くじけないぞ。」

という意識が生まれます。

さながら、警官が制服を着たり、軍人が軍服を着たりするのと同じように、その衣装のもつ役割に殉じようとするのと同じように、お遍路としての役割を果たすように意識が向かうのです。

 

また、元来の死装束としての意味を知っている人(特に僕)は、「死ぬ覚悟で遍路をする」という強い覚悟を持つ人も居ます。

そう言った「覚悟」を文字通り着るために白装束を身につけるお遍路もいるのです。

現代のお遍路は白装束を着るべきなのか

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結論から言うと、僕は着ても着なくてもどちらでも良いと思っています。

 

「まだ若いし、遍路で死ぬ覚悟なんて毛頭ない。まだまだ自分には遍路の後にやることがたくさんあるんだ!死装束なんてとんでもない!」
と言う人は別に白衣を着なくても良いんじゃないでしょうか。

 

 

実際、僕もそう言って白装束を着ずに遍路をする女性と一緒に歩きました。

その女性は別に遍路を軽んじている訳ではなく、「死装束を身につける理由がない」ということで白装束を着ない遍路でした。

その女性は物事をしっかりと、自分の考えで判断し、周りの考えに流されない人でした。

 

僕にはその女性が他の遍路よりもずっとずっと立派に見えました。
他の白装束を着ない遍路は、そういった人が多いように感じます。

 

ただ、白装束を着ないことによって、お寺の人に邪険に扱われたり、他のおっさん遍路に悪口を言われることも多々あったようです。

悲しいですが、人を表面でしか判断しない短絡的な人間も多くいます。
仏門の人間だろうと俗世にまみれてます。まみれまくりです。

 

また、
「白装束を着ていないと遍路かどうか分からなくてお接待できない」
というケースも多いです。

白装束を着ないで遍路をしたい方は「白衣を着ないことによって、そういったデメリットもある。」
ということを理解しておいた方が良いです。

 

 

遍路よ、自由であれ

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お遍路は自由な文化です。

服装や持ち物に厳格な規定はなく、宗派や信条や人種に決まりもありません。
イスラム教徒がお遍路をしても良いですし(イスラム教側の規則は別にして)、黒人がお遍路をしても良いです。

麻薬常習犯でも、役立たずの総理大臣でも、北のローカル番組の芸能人でも、誰でもお遍路さんになって良いんです。

 

移動手段だって、車でも自転車でも徒歩でも自転車でも竹馬でも構いません。

寺を回る順番だって決まりはなく、どこの寺から回り始めても良いし、途中で中断しても良いんです。

 

そう言った自由がある文化だからこそ1200年もの間、時代が変わり文化が変わっても生き続いてきたのだと思います。

 

是非、お遍路をしたいと言う方は、「遍路はこうすることに決まっている」という固定概念に囚われず、自信の考えと信条に基づいていろいろなことを判断してください。

もちろん、文化や伝統を重んじることは大事ですが、その成り立ちや意味が果たして自分にとって本当に必要なものなのかしっかりと調べて考えてみてほしいです。
ただ伝統を守ることと、意味を分かった上で守ることは全くの別物です。

 

 

今、考える時間がなくても大丈夫です。
歩き遍路をしている間は死ぬほど思考する時間が作れます。

そう言った思考は、きっと今までにない体験をする手助けになるはずです。

 

最後に、先ほど出て来た遍路服を着ない女性遍路が、お寺で悪口を言われた後に言った言葉を紹介します。

 

ああいう悪口を言われると辛いね。

 

でも、私は最後まで私の考えを貫き通すよ。

だって今の私はきっとどの遍路よりも遍路らしいと思うから。

 

そういう彼女はまさに強い「願い」と「覚悟」を持ったあるべき姿の「お遍路さん」でした。

 

 

 

-そして彼女は最後まで白衣に袖を通すことなく歩き続け、体を壊した母のために結願を果たしました-

 

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シオ

シオ

H.2年生まれ。フリーランス。 ガジェット、アウトドア、バイクが好きなエストレヤ乗り。ローカルメディア「ありんど高知」編集長。 今年からハンター始めます。

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